アウディはやっぱりクワトロなのか...: "それにしてもやっぱり、アウディといえばクワトロなのか...と真剣に考えた次第である。
まあ、都市生活に重点を置いていれば、さほどの違いは無いと思うが...
たかがクワトロされどクワトロ...私が欲しいのはオールロードクワトロと、A4カブリオレです!"
A4カブリオレはFF。でも厳寒の勾配15度の坂道もへいっちゃら。クワトロにこだわることはないよ。
2006年4月30日日曜日
2006年4月29日土曜日
フォアグラとお多福豆
フォアグラとお多福豆: "ホリエモンが男になれるかどうか。判決はどうせ微罪でしょうから、出所後は「わが息子、わが弟」扱いしてくれる政界入りするか否か。どのような命運が待ちかまえているにせよ、久五郎の時代との大きな差は、人物にも社会にも“美学”がないことです。実際、大衆IT社会には美学というものが徹底的に欠如していますね。"
2006年4月27日木曜日
内田樹の研究室: 政治を弔うということ
内田樹の研究室: 政治を弔うということ: "匿名で政治を語る人間が運動の退潮期に「弔い」の責務をわが身に感じるということはない。
責任をとる気がある人間はそもそも匿名で発言したりはしないからだ。
繰り返し書くが、あらゆる政治運動、政治思想は「短い栄光の夏」と「エンドレスの気鬱な冬」から形成されている。
そして、その運動や思想の価値を最終的に決定するのは「冬の過ごし方」に知的リソースを投じたひとにぎりの人々なのである。"
責任をとる気がある人間はそもそも匿名で発言したりはしないからだ。
繰り返し書くが、あらゆる政治運動、政治思想は「短い栄光の夏」と「エンドレスの気鬱な冬」から形成されている。
そして、その運動や思想の価値を最終的に決定するのは「冬の過ごし方」に知的リソースを投じたひとにぎりの人々なのである。"
2006年4月26日水曜日
内田樹の研究室: ナショナリズムと集団性
内田樹の研究室: ナショナリズムと集団性: "現代における「強者」たちはほぼ例外なく「集団に深くコミットしていること」の代償として豊かな受益機会を享受している。
現代における「弱者」たちはほぼ例外なく集団に属していない。"
現代における「弱者」たちはほぼ例外なく集団に属していない。"
「(集団に属さないことの不利益に気が付き)愕然として、思わずしがみついた先がナショナリズムなのである」(内田樹)
ネットウヨと農村居住者の関係について書いたら(その1 ,その2 )好評(?)だったみたいなので、もう少しきっちり考えてみたいなと思っていた。恰も良し、内田先生がいい材料を提供してくださった。
内田樹の研究室: ナショナリズムと集団性: "若い世代に瀰漫するナショナリズムと格差社会の関係について、大学院で渡邊仁さんの発表を聴きながら考えた。"裨益するところ、多大。
散人流の抜粋:
今まで散人が思っていたことをほとんど言ってくれる見事な論調(散人の昔書いた主張も見てください)。しかし、ちょっと困った。これ では「ナショナリスト=ヒャクショウ」という散人の仮説が支持されないのだ。つまり、日本における農村既得権益者団体は、今や日本最強の政治圧力団体であ り、経済的にも農林統計協会の調査によると都市勤労者をはるかに上回る所得を享受している押しも押されぬ「強者」である以上、この理屈で言えば、「ナショ ナリストなんかにはなる必要がない人たち」ということになってしまう。どう考えればいいのだろう?
二つ考えられる。まずひとつは、「ヒャクショウ」とは内田氏の言う「強欲 な強者」であるというい仮説。自分たちがなお一層豊かになるために「都市部のアホな下層ウヨたち」を味方に取り込んで、自分たちの政治的野望を実現させよ うとしているということ。あり得ないことではない。
もう一つは、「ヒャクショウ」とは古いタイプのナショナリストであるとい うこと。内田氏が冒頭に言っているように、内田氏は「新しいタイプ」のナショナリストを分析されている。でも、昔の「古いナショナリスト」は、南北戦争や フランス革命のころを見てもわかるように、産業政策論者であった。外国からの競争を排除することで自国産業の発展を目論んだ。その結果、消費者は高いもの を買わされることで損をするが、これは国益に利すると強引に論じる。消費者が自分たちの生産物しか買えない状況を作り出すことこそ、古いタイプのナショナ リストが必死で追及していたことだ。今の農業団体の主張に相当近い。
結局、この二つのことが重なり合って、いまの「農村ナショナリズム」がで きているのだと思う。言えることは、その「農村ナショナリズム」に利用されるだけの「都市弱者ナショナリスト」は、自分たちのクビを自分でしめているだけ のことで、とてもかわいそうということ。早く目覚めたほうがいい。
抜粋に入れなかったが、内田先生は、「所属する集団の大きさ」を損得勘定 を考える際に重要なポイントと指摘されている。大きすぎても小さすぎてもいけない。その点「農協」という組織は実にうまくできていて、小さな集団の強みと 巨大な集団の強みを柔軟にコンバインすることができる組織だ。しかも、うまく独占禁止法の規制を逃れている。とても恐ろしい存在である。
- 新たなナショナリズムの担い手はつねに「弱者」である。「物心両面で支援してくれるような社会集団に帰属していな い」がゆえに「さっぱり受益機会に恵まれない」という個人的事情から、ナショナリズムが必要だ。
- それに対して、いわゆる「強者」は(国民的統合が果たされていない)ステイタス・クオから十分な利益を得ている。現 状で十分に受益しているからこそ彼らは「強者」と呼ばれているわけである。だから、「強者」は別に国民的統合の達成が喫緊の政治的課題であるとは思ってい ない。
- 思っている「強者」がいるとしたら、それは「ナショナリズムの亢進からさらに利益を得よう」と望んでいる「強欲な強 者」(石原慎太郎とか安倍晋三とか)だけである。
- 「いまは持っていない」受益機会を生み出すと信じている「弱者」と、「いま持っている」受益機会をさらに増大すると 信じている「強者」の連合によってナショナリズムは亢進する。
- 少なくとも現代における「強者」たちはほぼ例外なく「集団に深くコミットしていること」の代償として豊かな受益機会 を享受している。
- 現代における「弱者」たちはほぼ例外なく集団に属していない。久しく「スタンドアローンであること」の有利さだけを 教え込まれた育った若者たちが、そのような生き方がさっぱり受益機会の増大に資さないことに、成人した後に気づいて、いま愕然としている。愕然として、思 わずしがみついた先がナショナリズムなのである。
今まで散人が思っていたことをほとんど言ってくれる見事な論調(散人の昔書いた主張も見てください)。しかし、ちょっと困った。これ では「ナショナリスト=ヒャクショウ」という散人の仮説が支持されないのだ。つまり、日本における農村既得権益者団体は、今や日本最強の政治圧力団体であ り、経済的にも農林統計協会の調査によると都市勤労者をはるかに上回る所得を享受している押しも押されぬ「強者」である以上、この理屈で言えば、「ナショ ナリストなんかにはなる必要がない人たち」ということになってしまう。どう考えればいいのだろう?
二つ考えられる。まずひとつは、「ヒャクショウ」とは内田氏の言う「強欲 な強者」であるというい仮説。自分たちがなお一層豊かになるために「都市部のアホな下層ウヨたち」を味方に取り込んで、自分たちの政治的野望を実現させよ うとしているということ。あり得ないことではない。
もう一つは、「ヒャクショウ」とは古いタイプのナショナリストであるとい うこと。内田氏が冒頭に言っているように、内田氏は「新しいタイプ」のナショナリストを分析されている。でも、昔の「古いナショナリスト」は、南北戦争や フランス革命のころを見てもわかるように、産業政策論者であった。外国からの競争を排除することで自国産業の発展を目論んだ。その結果、消費者は高いもの を買わされることで損をするが、これは国益に利すると強引に論じる。消費者が自分たちの生産物しか買えない状況を作り出すことこそ、古いタイプのナショナ リストが必死で追及していたことだ。今の農業団体の主張に相当近い。
結局、この二つのことが重なり合って、いまの「農村ナショナリズム」がで きているのだと思う。言えることは、その「農村ナショナリズム」に利用されるだけの「都市弱者ナショナリスト」は、自分たちのクビを自分でしめているだけ のことで、とてもかわいそうということ。早く目覚めたほうがいい。
抜粋に入れなかったが、内田先生は、「所属する集団の大きさ」を損得勘定 を考える際に重要なポイントと指摘されている。大きすぎても小さすぎてもいけない。その点「農協」という組織は実にうまくできていて、小さな集団の強みと 巨大な集団の強みを柔軟にコンバインすることができる組織だ。しかも、うまく独占禁止法の規制を逃れている。とても恐ろしい存在である。
Posted: Wed - April 26, 2006 at 05:29 PM Letter from Yochomachi 名言(迷言)集 Previous Next Comments (4)
2006年4月25日火曜日
Sankei Web 政治 小泉政権 「無為な時間」と小沢氏批判(04/25 22:23)
Sankei Web 政治 小泉政権 「無為な時間」と小沢氏批判(04/25 22:23): "小沢氏は、国債発行30兆円枠突破の「公約違反」を「大したことではない」とした小泉純一郎首相の発言を挙げ、「小泉政権の本質はこの言葉に表れている」と指摘。"
2006年4月23日日曜日
mumurブルログ:産経黒田氏 「WCは失敗だった」「韓国に自信をつけさせても付け上がるだけ」
mumurブルログ:産経黒田氏 「WCは失敗だった」「韓国に自信をつけさせても付け上がるだけ」: "テレビ討論会などで筆者(黒田)が「独島は韓国のものだが竹島は日本のものだ」とユーモラスに言っても「殺してやる!」と脅迫者が現れる韓国なだけに、韓国向けも考え遠回りする。 "
黒田さんの文章が引用されていた。そうなんだよな、あいつら疲れる。同じようにニッポンジンも疲れる。古代から同じ国だったから、考え方も民度も同じなんだろうな。
黒田さんの文章が引用されていた。そうなんだよな、あいつら疲れる。同じようにニッポンジンも疲れる。古代から同じ国だったから、考え方も民度も同じなんだろうな。
2006年4月22日土曜日
隠居小屋:イヌマキの剪定
大仕事に挑戦。槇(イヌマキ)をいじってみた。
剪定前:
剪定後:
結論:イヌマキの門冠り仕立ては素人には無理。
普通の植木と違って、イヌマキの門冠りは「上から」剪らなければならないが、ハシゴはそこまで届かないのだ。いくらよじ登っても樹冠の上から剪ることは出来ない(プロは電柱工事用のゴンドラを使って電気ノコギリで平らにする)。やむなく自然風に仕立てようと方針変更をして、下から長尺の剪定ばさみでこみ入ったところを透かせるように剪った。長年電気ノコギリで平らにしているので、枝の中が極度に混み合っている。イヌマキにとっても暑苦しいのだ。外観はあまり変わっていないが、樹にとってすこぶる「健康的」になっているのである。
米は麦より優れてゐるか: アミノ酸スコアの陥穽 : 三角点 -北国tv
米は麦より優れてゐるか: アミノ酸スコアの陥穽 : 三角点 -北国tv: "精白米と小麦粉として比較した場合は小麦粉の方が少ない重量で必須アミノ酸を充足することができる。この違ひは押さへておくべきである。"
2006年4月19日水曜日
☆ 官 邸 日 記 ☆: 【平成18年4月18日(火)】
☆ 官 邸 日 記 ☆: 【平成18年4月18日(火)】: "「市場原理が地方まで浸透し、大変な状況だ。みんなで話し合って、分担して郷土づくりをやっていくという社会はいかんのか !!」とこちらは5年ぶりの国会質問で談合容認論(?)を展開した亀井静香 国民新党代表代行。 "
こういう論理がいまだにまかり通っているのが日本の社会。如何にアホで、自己中心的な議論であるのか、みんなで考えてみよう。
こういう論理がいまだにまかり通っているのが日本の社会。如何にアホで、自己中心的な議論であるのか、みんなで考えてみよう。
Sankei Web “ニュー小沢”前面に「自民分断、無駄な努力せぬ」(04/18 21:20)
Sankei Web “ニュー小沢”前面に「自民分断、無駄な努力せぬ」(04/18 21:20): "「自民党は政権を維持したい人の集まり。与党である限り党は割れない。無駄な努力はしないと(小泉首相に)お伝えください」"
2006年4月17日月曜日
「他人にぬけぬけと愛を強要するニッポンは野蛮だ」(あさのあつこ)
あさのあつこという人は知らなかったけれど、今晩の日経コラムで感服 した。とても立派な人だ。尊敬する。
彼女の「満開の桜によせて」と いうコラムから部分引用:
いろいろものを読む方だが、これだけ力のある文章に、最近お目にかかった ことはない。あさのあつこ、あっぱれである。
これは愛国教育ばかりには限らないと思う。今はやりの環境運動についても 同じ。「○○を愛せ」との体制による個人に対する強要が多すぎるのだ。願い下げだ。
環境論者は、二つに分かれる。宣教師的な布教精神に富んだ人と、それを利 用して自分に利益誘導しようとする人たち。前者はまだいいのだが、後者はおぞましい。例えば「農業の多面的性格」とかいって自然保護のために里山の風景や スギ林や農村を守れという。杉林はまさに人工的なもので、山林保有者の利潤追求動機から作られたものだ。日本本来の植生ではない。何が環境だ、何が自然 だ。おまけに戦後最大の公害被害と言える花粉症患者を作り出している。それなのに今までしこたま儲けて大きな資産を保有する山林保有者は、補償能力がない という理由で自分の責任を回避し続けている。アスベスト被害補償でのクボタの潔い態度を学ぶべきではないか。「農業の多面的性格」をWTO交渉や農業保護 政策論議に持ち出して来るに至っては、トンチンカンとしかいいようがない。切り離して議論するべきものだ。
花とは何か、人とは何か、生とは何か……穏やかに深く思考を働かせる。二十一世紀の今、この国に生きる わたしたちに、もっとも欠けている部分かも知れない。そう、人は思案し、徹底的に個に拘るべきだ。個に拘ることにしか、真実の文化は生まれてこない。(中 略、この国の大人と呼ばれる人たちは)野蛮なのだ。他者にぬけぬけと愛を強要するほどに野蛮で粗野だ。
「私を愛して」ならわかる。しかし、「この国をこの社会をこの○○を愛せ」と強いることの蛮行。
いろいろものを読む方だが、これだけ力のある文章に、最近お目にかかった ことはない。あさのあつこ、あっぱれである。
これは愛国教育ばかりには限らないと思う。今はやりの環境運動についても 同じ。「○○を愛せ」との体制による個人に対する強要が多すぎるのだ。願い下げだ。
環境論者は、二つに分かれる。宣教師的な布教精神に富んだ人と、それを利 用して自分に利益誘導しようとする人たち。前者はまだいいのだが、後者はおぞましい。例えば「農業の多面的性格」とかいって自然保護のために里山の風景や スギ林や農村を守れという。杉林はまさに人工的なもので、山林保有者の利潤追求動機から作られたものだ。日本本来の植生ではない。何が環境だ、何が自然 だ。おまけに戦後最大の公害被害と言える花粉症患者を作り出している。それなのに今までしこたま儲けて大きな資産を保有する山林保有者は、補償能力がない という理由で自分の責任を回避し続けている。アスベスト被害補償でのクボタの潔い態度を学ぶべきではないか。「農業の多面的性格」をWTO交渉や農業保護 政策論議に持ち出して来るに至っては、トンチンカンとしかいいようがない。切り離して議論するべきものだ。
2006年4月16日日曜日
Le Monde : ローマ帝国国民の平均年収はいくらだったか?
ルモンドには時々こういった面白い記事が掲載され る:
Le Monde.fr : Le déclin européen, en perspective longue: "Un habitant de l'empire romain disposait de 540 dollars de revenu annuel, en moyenne. Par comparaison, le revenu d'un Français en 1688 était de 900 dollars et en 2003 de 22 000 dollars. Nous sommes donc, aujourd'hui, quarante fois plus riches qu'il y a deux millénaires. Vous saviez ça ?"ローマ時代の一人あたり平均年収(一人あたりGDP)は現在価値に換算すると540ドルだった。2003年のフランスの一人あたりGDPは2万2千ドル (1688年は900ドル)。へ〜。
この記事のいいところは、更に これからこんなことが言えると、いろいろ書いてあること。さわりだけ抜粋:
そうか、あの輝かしいローマ時代に比べても、現代は格段に豊かになってい るのだ。もっと楽観的になろう。同感。
- これはイギリスの歴史経済学者アンガス・マディソン氏の推計によるもの。彼は元OECDのエコノミスト。
- ローマ人は帝国を建設したけれど、科学技術は異民族に比べたいしたことはなかったし、栄養状態も異民族より逆に悪 かった。しかし組織力があった。異民族に対しては力と友好を使い分けるプラグマティズムもあった。
- ローマ帝国制度はギリシャやエジプトなどの先進国よりも、スペインやゴールなどの後進地域にとってメリットがあっ た。社会資本の整備や技術導入が出来た。これはナポレオン帝国においても、中国においても同じことだった。キャッチアップ効果。後進地帯は常に世界帝国に 加入することで利益を受ける。戦後の日本のように。
- この後進地帯のキャッチアップは先進地帯の没落を意味するものではない。
- 一番悪いのはナショナリズム。鎖国をしてどうしようもなく遅れてしまった中国を見よ。
- フランスの場合、1500年から1820年にかけての経済発展が著しかった。これはヨーロッパの経済発展は産業革命 以降だとする伝統的な考え方が間違っていることを示すもの。経済発展は(産業革命ではなく)商人資本主義が引き起こすものである。
- 将来に悲観的になることはない。もっともよくないのは経済発展をグローバルなゼロサム関係として捉えることだ。
- 一人一人の兵隊は弱いローマ軍も、柔軟性があったことで、強かったギリシャの密集歩兵集団を打ち負かしたことを忘れ てはいけない。
そうか、あの輝かしいローマ時代に比べても、現代は格段に豊かになってい るのだ。もっと楽観的になろう。同感。
Posted: Sun - April 16, 2006 at 07:02 PM Letter from Yochomachi Le Monde(ルモンド抄訳) Previous Next Comments
「食育」に根拠はあるのか: 独り歩きする「日本型食生活」キャンペーン : 三角点 -北国tv
「食育」に根拠はあるのか: 独り歩きする「日本型食生活」キャンペーン : 三角点 -北国tv: "十分な根拠なしに「とにかく米を中心とする日本型食生活が良いのだ」といふ話が流布され、印象づけられてゐる。さういふ時代なのである。我々はもつと注意すべきであらう。
"
"
2006年4月15日土曜日
「貝原益軒は間違っとるのである」(元祖“医食同源”の新居裕久先生)
今朝の日経「医食同源」コラム で新宿医院院長の新居裕久先生が。新居先生は、現代日本の風靡する「粗食長寿説」を撲滅することに使命感を燃やされているようだ。頑張れ新居先生!
抜粋:
ちなみに新居先生が引用されている益軒の文章は次の本からとのこと。アマ ゾンで見てみると、えらく評判がよく売れているようだが、あまり信じ込むと寿命を縮める見たいです。
農業団体主導の「食育」なんかにも貝原益軒の影響が臭う。どうしても食育 とやらをしなければいけないのだったら、すべからく新居裕久先生のご本を子供に読ませろ!
- 粗食長寿説が広く行き渡っているが、これには貝原益軒の「養生訓」が大きな影響を与えている。
- 例えば次のような文章:「中国、朝鮮の人は胃腸が強いので鳥や獣の肉を食べても害はない、日本人がこんなものを摂っ たらやられてしまう。日本人の体質は異国の人より弱いためである。日本人の食事はあっさりとして軽い物がよい」とか。
- 益軒は当時の肉なし、油脂なしの食事環境より体質に原因を求めてしまっている。本当は逆で、当時の中国の人などは焼 き肉や炒めものを摂っていたので胃腸が丈夫。日本人は漬け物に味噌汁でご飯を大食する食事をとっていたので胃腸が弱いということだろう。
- 日本が長寿国になったのは、伝統的な食習慣が適度に欧米化され、栄養のバランスがとれたことによるものだと思う。
ちなみに新居先生が引用されている益軒の文章は次の本からとのこと。アマ ゾンで見てみると、えらく評判がよく売れているようだが、あまり信じ込むと寿命を縮める見たいです。
口語 養生訓 貝 原 益軒 松宮 光伸
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Posted: Sat - April 15, 2006 at 04:12 PM Letter from Yochomachi Health Previous Next Comments (6)
2006年4月14日金曜日
なぞなぞ:長塚京三のお気に入りの悪態(カース)は何でしょうか?
きのうの日経夕刊「プロムナード」で「理想の上司像」イメージの俳優の長塚京三が書いている。PTA小母さんが仰天すること請け合い。
それだけを取り出して紹介すると誤解を与えるかも知れないので、内容の要旨を:
この人の文章がすごく良いので、毎回このコラムを愛読している。内容も良い。昨日のは痛快だった。
「ある種の怯懦(きょうだ)、あるいは計算の高さがさせる姑息な振る舞い」をしながら「数を恃(たの)んで推し通ろうとするこの勢力」には、ホンマに頭にきます。散人もそう言う連中を「イナカモン」と呼んでいます。
- アメリカのテレビ番組で映画俳優が映画人養成学校の学生たちの前でインタビューを受けるものがある。長塚京三が好きなのは、その中での「あなたのお気に入りのカース(悪態)は?」というコーナー。映画俳優の答にたいていピー音が被る。
- 私自身(長塚)はめったに罵ったりしないが、二三の微妙な言い回しを使うことがある。
- 一つは「オトコ」という言葉。「しっかりしろ」、「恥を知れ」という文脈において使う(女性差別だと女性から異議をはさまれたこともあるが)。
- もう一つは「イナカ者」という言葉。
- 地方出身者を蔑もうというのではない。私(長塚)自身も地方出身者の血を受け継いでいる。むしろ誇りに思っている。
- だからこそ私(長塚)は、極めて反語的だが、ある種の怯懦(きょうだ)、あるいは計算の高さがさせる姑息な振る舞いを、「イナカ者」の処世と呼んで憚らない。オトコらしくない、と断じる。
- 「目に余る」、「むくつけし」と、上品に言い換えることはいいが、それでは、数を恃(たの)んで推し通ろうとするこの勢力に向けて、私の気が収まらない。
この人の文章がすごく良いので、毎回このコラムを愛読している。内容も良い。昨日のは痛快だった。
「ある種の怯懦(きょうだ)、あるいは計算の高さがさせる姑息な振る舞い」をしながら「数を恃(たの)んで推し通ろうとするこの勢力」には、ホンマに頭にきます。散人もそう言う連中を「イナカモン」と呼んでいます。
2006年4月13日木曜日
さくらの永田町通信: 危うし
さくらの永田町通信: 危うし: "千葉7区の補選は、なかなか楽観できない情勢のようです。"
そうだわな。小沢のインパクトというより、小泉自民党が農村に譲歩しすぎたことで、都市住民の不満は極度に高まっているのだ! 何が何でも農村利権をぶっつぶせ、ということになる。
そうだわな。小沢のインパクトというより、小泉自民党が農村に譲歩しすぎたことで、都市住民の不満は極度に高まっているのだ! 何が何でも農村利権をぶっつぶせ、ということになる。
食料安全保障:浦賀水道こそ都民の生命線だ、通航を確保しろ!」
今朝、館山沖で衝突沈没した貨物船の映像は衝撃的。まるでタイタニックだ。それにつけてもあの辺りの船舶航行の安全は極度に脅かされている。物理的かつ政治的にだ。
あの狭い浦賀水道を三分に一隻の頻度で外洋船が通行するという。恐ろしいまでの混み 具合。そりゃそうだろう。東京都民が食べるタマネギの8割は中国から浦賀水道を通って運ばれるし、散人が消費する小麦粉や冷凍野菜、それに輸入肉やワイ ン・ウイスキーのほぼ100%は浦賀水道経由運ばれてくるのだ。あそこが通航できなくなれば、散人はもとよりほとんどの東京都民は一週間で飢える。
浦賀水道は日本の領海だから安全だといって安心していてはいけない。日本国内において浦賀水道を封鎖しようとする勢力が大きな政治的・文化的勢力を持ちつつ あるのだ。具体的には「地産地消はすなわち国産地消である」と言い切った農協新聞。その利益代表である農水族。彼らが使う莫大な宣伝用の軍資金に惑わされ て「農村万歳番組」を放映し続ける民放。本源的に田舎の利益代表であるNHKは言うまでもない。彼らの目的は浦賀水道を封鎖して輸入品を締め出すこと。信 じられないような高率関税や輸入割当の実現で彼らの目的のかなりの部分が達成されているが、それでも満足してないのか、彼らはさらなる「浦賀水道封鎖策」 を画策している。
このままでは、東京都民は確実に迫り 来る飢えに直面し、法外なお金をただ食べるが為だけに支出することを強制されることとなる。日本の戦後の食糧難と農村のぶんだくりを経験していない人には わからないだろうが、経験すればわかる。都市住民のなけなしの財産のほとんどは大根と引き替えに農村にぶんだくられてしまったのだ。
戦後の食糧難と、都市から農村への濡れ手に粟の所得・資産移転は、ひとえに当時、農産物の国際貿易が許可されていないが為に発生した。「柳の下にドジョウが」と彼らが思うのは勝手だが、都市住民は過去の苦い経験を思い起こすべきである。
愚者は自分の経験から学ぶ。賢者は歴史から学ぶ。
浦賀水道は日本の領海だから安全だといって安心していてはいけない。日本国内において浦賀水道を封鎖しようとする勢力が大きな政治的・文化的勢力を持ちつつ あるのだ。具体的には「地産地消はすなわち国産地消である」と言い切った農協新聞。その利益代表である農水族。彼らが使う莫大な宣伝用の軍資金に惑わされ て「農村万歳番組」を放映し続ける民放。本源的に田舎の利益代表であるNHKは言うまでもない。彼らの目的は浦賀水道を封鎖して輸入品を締め出すこと。信 じられないような高率関税や輸入割当の実現で彼らの目的のかなりの部分が達成されているが、それでも満足してないのか、彼らはさらなる「浦賀水道封鎖策」 を画策している。
このままでは、東京都民は確実に迫り 来る飢えに直面し、法外なお金をただ食べるが為だけに支出することを強制されることとなる。日本の戦後の食糧難と農村のぶんだくりを経験していない人には わからないだろうが、経験すればわかる。都市住民のなけなしの財産のほとんどは大根と引き替えに農村にぶんだくられてしまったのだ。
戦後の食糧難と、都市から農村への濡れ手に粟の所得・資産移転は、ひとえに当時、農産物の国際貿易が許可されていないが為に発生した。「柳の下にドジョウが」と彼らが思うのは勝手だが、都市住民は過去の苦い経験を思い起こすべきである。
愚者は自分の経験から学ぶ。賢者は歴史から学ぶ。
2006年4月12日水曜日
2006年4月10日月曜日
2006年4月9日日曜日
2006年4月8日土曜日
隠居小屋:ヤマモモの自然風剪定(写真付き)……大満足
いよいよヤマモモの剪定。はじめて自分でやったが、見事に「自然風」に仕上がった。
自慢の出来栄え:
剪定したように見えないのが、いいところなのであ〜る。「中透かし」という高等技術だ。
コツを伝授:
- 幹から垂直に立ち上がっている徒長枝を全部落とす。それだけでほとんどいい。
- 樹に登って剪ること。スライド式の高木用の剪定ばさみは使いにくい(垂直に立ち上がっている徒長枝を下から切ることは出来ない)。
- 最初に太いのをノコギリで切り、その他のものは手で折る。その方が安全(落ちない)。
- ノコギリを使うときは、剪る枝を手で持たないこと。剪った枝とともに自分も落ちてしまう。
今まで植木屋さんにやってもらっていたが、いつも剪りすぎるので不満足だった。でも今回は大満足。散髪屋と同じで、自分でやったほうがいい。
隠居小屋:ヤマモモの自然風剪定(写真付き)……大満足
いよいよヤマモモの剪定。はじめて自分でやったが、見事に「自然風」に仕上がった。
自慢の出来栄え:
剪定したように見えないのが、いいところなのであ〜る。「中透かし」という高等技術だ。
コツを伝授:
- 幹から垂直に立ち上がっている徒長枝を全部落とす。それだけでほとんどいい。
- 樹に登って剪ること。スライド式の高木用の剪定ばさみは使いにくい(垂直に立ち上がっている徒長枝を下から切ることは出来ない)。
- 最初に太いのをノコギリで切り、その他のものは手で折る。その方が安全(落ちない)。
- ノコギリを使うときは、剪る枝を手で持たないこと。剪った枝とともに自分も落ちてしまう。
今まで植木屋さんにやってもらっていたが、いつも剪りすぎるので不満足だった。でも今回は大満足。散髪屋と同じで、自分でやったほうがいい。
2006年4月7日金曜日
なぞなぞ(地域差別系):地方交付税で一番割を食っている県はどこでしょうか?
今朝の日経で仕入れたなぞなぞ。住民一人あたりの行政サービス金額で、一番得をしているところと一番損をしているところで、格差は2.5倍にもなり、一人あたりにして年間19万円もの差が出ているというのだ。
日経が出しているのは一人あたりの行政サービス額の数字。最も少ないのは、埼玉県と神奈川県。一人あたりで約13万円しか行政サービスを受け取っていない。一方、一番あくどく儲けているのは、やっぱり島根県。実に県民一人あたりで年間32万円もの行政サービスをもらっているというのだ。埼玉県と神奈川県の実に2.5倍。とても不公平だ。金額にして一人19万円といえば、大都市住民は4人家族で実に年間76万円も損をしているということだ。76万円もあれば、いろいろ楽しいことが出来るよ。
地方交付税に似たような制度は欧州にもある。税収が少ない地方自治体を「同じ程度に」是正するのが目的。ところが日本では、逆にそれを飛び越えて、税収が少ない自治体の方が地方交付税のおかげで、県民一人あたりにして大都市圏とは比較にならないぐらい手厚い行政サービスをばらまいているのだ。あいつらボリまくっている。
これは行政サービスだけを見た数字だが、その他にもいろいろな不公平な分配がある。例えばNHKのサービスだ。NHK視聴料の大半は都市住民が払っているにかかわらず、受益者は地方住民。一人あたりのNHK支出額を大都市圏と地方で比較してみたらわかる。同じく郵便サービスもそう。電気、電話もそうだ。民間のクロネコヤマトの宅急便ですら、全国一律の料金体系がゆえに大都市住民は余計な料金を負担している。
地方にボラレまくっている都市住民よ、怒れ!
地方交付税に似たような制度は欧州にもある。税収が少ない地方自治体を「同じ程度に」是正するのが目的。ところが日本では、逆にそれを飛び越えて、税収が少ない自治体の方が地方交付税のおかげで、県民一人あたりにして大都市圏とは比較にならないぐらい手厚い行政サービスをばらまいているのだ。あいつらボリまくっている。
これは行政サービスだけを見た数字だが、その他にもいろいろな不公平な分配がある。例えばNHKのサービスだ。NHK視聴料の大半は都市住民が払っているにかかわらず、受益者は地方住民。一人あたりのNHK支出額を大都市圏と地方で比較してみたらわかる。同じく郵便サービスもそう。電気、電話もそうだ。民間のクロネコヤマトの宅急便ですら、全国一律の料金体系がゆえに大都市住民は余計な料金を負担している。
地方にボラレまくっている都市住民よ、怒れ!
2006年4月1日土曜日
〔再録〕4/1 Today : [号外] 靖国神社からA級戦犯14名の英霊が持ち去られる!
旧HPから再録。靖国神社問題にはこんな解決策もある。エープリルフールにしておくのは勿体ない:
4/1 Today : [号外] 靖国神社からA級戦犯14名の英霊が持ち去られる!
靖国神社からA級戦犯の英霊が盗まれる事件が発生した。本日4月1日未明、東京千代田区の靖国神社の境内に、大国主命のような袋を背中に背負った不審な山伏装束の人物が現れ本殿前で祈祷をはじめたのを通行人が目撃、警察に通報があったが、九段下派出所から警察官が到着したのは、その人物が袋を担いで境内を立ち去った後であった。しかし、本日午前8時になってこの人物は九段会館で記者会見を開き「自分は日本の修験行の始祖である役行者の第152代目の行者である。靖国神社に合祀されていた14名のA級戦犯の霊は確かにこの袋の中に収納した。今から役行者のゆかりの地である富士山山頂に安置する」と発表。直ちに中央高速を富士吉田方面に向けて出発していった。
靖国神社側が事態を把握したのはこの記者会見後のことで、神社本庁では混乱を極めている。「直ちに警察に盗難届を出しこの役行者第152代目という男を告訴すべきだ」という意見がある一方、「そんなことをすれば14柱の英霊がいなくなったことを認めることになる。盗まれていないと公表するべきだ」という意見も出ている。「盗まれていないのであれば『存在する』ということを見せなければならないが、どうやってやるか」と気遣う声もあり、紛糾している。
かねてからA級戦犯の分祀を主張する麻生太郎外相は「そうか、これですっきりした。これで堂々と総理は靖国神社を参拝できる」との談話を発表。A級戦犯が合祀されている靖国神社への総理参拝はサンフランシスコ条約に抵触するおそれがあるとの見解を表明していた内閣法制局長も「これでいっさい国際法上の問題はなくなった」とコメント。緊急会見を開いた小泉首相は「(A級戦犯が靖国神社にいるかどうかは)心の問題だ。いないと信ずればいないのだ」と述べた。
北京で記者インタビューに応じた唐家セン(Tang Jiaxuan、とう・かせん)国務委員は、「盗まれたかどうか事実関係を把握していないが、いずれにせよこれは日本国内の問題だ。靖国神社からA級戦犯がいなくなったのであれば中国として総理の靖国参拝に反対する理由はない」と言明。ただし「新しい総理大臣がA級戦犯への参拝のために富士登山をするのであれば問題だ」とも付け加えた。
日本の古代宗教問題に詳しい大谷大学の南野事駄教授は「古代から続く役行者の方が、たかが明治時代からの歴史しかない靖国神社の神官よりははるかに霊力が高いとみなされている。この行者が大国主命風の袋を背負っていたことも重要。あれは風神の神器でもあり、ありとあらゆるものを吸い込んでしまう力を持っている」と解説。
今回、九段会館で記者会見が準備されていたなど手回しが良すぎる面もあり、関係者の間ではこれは日中韓政府により周到に準備されたパフォーマンスではないかとの見方も出ている。いずれにせよ、この事件をきっかけに日中韓の靖国神社をめぐる確執は解消に向かうものと期待される。
かねてからA級戦犯の分祀を主張する麻生太郎外相は「そうか、これですっきりした。これで堂々と総理は靖国神社を参拝できる」との談話を発表。A級戦犯が合祀されている靖国神社への総理参拝はサンフランシスコ条約に抵触するおそれがあるとの見解を表明していた内閣法制局長も「これでいっさい国際法上の問題はなくなった」とコメント。緊急会見を開いた小泉首相は「(A級戦犯が靖国神社にいるかどうかは)心の問題だ。いないと信ずればいないのだ」と述べた。
北京で記者インタビューに応じた唐家セン(Tang Jiaxuan、とう・かせん)国務委員は、「盗まれたかどうか事実関係を把握していないが、いずれにせよこれは日本国内の問題だ。靖国神社からA級戦犯がいなくなったのであれば中国として総理の靖国参拝に反対する理由はない」と言明。ただし「新しい総理大臣がA級戦犯への参拝のために富士登山をするのであれば問題だ」とも付け加えた。
日本の古代宗教問題に詳しい大谷大学の南野事駄教授は「古代から続く役行者の方が、たかが明治時代からの歴史しかない靖国神社の神官よりははるかに霊力が高いとみなされている。この行者が大国主命風の袋を背負っていたことも重要。あれは風神の神器でもあり、ありとあらゆるものを吸い込んでしまう力を持っている」と解説。
今回、九段会館で記者会見が準備されていたなど手回しが良すぎる面もあり、関係者の間ではこれは日中韓政府により周到に準備されたパフォーマンスではないかとの見方も出ている。いずれにせよ、この事件をきっかけに日中韓の靖国神社をめぐる確執は解消に向かうものと期待される。
Posted: Sat - April 1, 2006 at 09:23 AM Letter from Yochomachi きょうは何の日 Previous Next Comments (9)
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